KISAKI OFFICIAL SITE

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3月11日に起こった東日本大震災。その一週間後となる3月18日に、なんばHatchで開催になった東日本大震災支援チャリティーライブ「-pray for our japan-」へ凛も出演。彼らなりのスタンスで震災復興へ向けての祈りを捧げていった。


3月30日には、通算3枚目となるマキシ盤『Silent To My Pain』を2 TYPE同時に発売。オリコンのインディーズチャートで3位を記録。同楽曲の持つメッセージが、当時の時代性とも重なり、多くの人たちの心へ突き刺さる名曲になった。

みずからも阪神淡路大震災を身近に感じてきた経験もあって、KISAKI自身、東日本大震災に際するボランティアやチャリティーを通した動きにも積極的に支援や参加を行っていた。その一環として、4月5日には東日本大震災チャリティーCOMPILATION ALBUM『UNITED LINK for JAPAN』をプロデュース。凛は『Feeling Universe』を持って参加。その売上を、全額震災復興のためにと寄付する活動も行った。
 
さらに4月30日には、大阪BIG CATとOSAKA MUSEの二会場を舞台に、東日本大震災チャリティーライブ「UNITED LINK for JAPAN」を同時に主催。述べ1500人を動員。ライブ・イベントを通しても、積極的に復興支援を実施。もちろん、このイベントでの収益も全額復興資金として寄付された。

5月25日には、通算4枚目となるマキシ盤『Flowers Bloom』を2 TYPE同時に発売。各2曲入/完全限定盤として発売になった同作品は、オリコンのインディーズチャートで第4位を記録。マキシ盤も定期的にリリースし続けていたところから、当時の凛の、精力的に攻めゆく姿勢も見えていた。初ライブからちょうど1年後に当たる6月18日、凛は大阪BIG CATを舞台に、凛1st Anniversary Festival「an epidemic of "OVERTURE"」を開催。だが、この日の凛のライブで、特効を使用する際にトラブルが生じ、会場が炎上。ライブは開始後3分で中止に。
この事件をきっかけに、凛は大阪BIG CATのライブで特効使用禁止という通達を受ける。と同時に、このトラブル事件は瞬く間にtwitter等SNSを通し世界中に拡散され、今や伝説のライブとして語り継がれるようになった。

6月18日に大阪BIG CATで行いつつも中止となったライブのリベンジにと、同じく大阪BIG CATを舞台に、8月07日に1st Anniversary Festival Oneman Live「an epidemic of "OVERTURE"」振替ワンマン公演を開催。当時の人気ぶりを示すように500名を動員。初ワンマンにして、しっかり成果を残してくれた。

8月31日と言えば、KISAKI自身が一度、引退を表明した日。その日に凛は、これからの凛の躍進を描く想いも込め、初のフル・アルバム『Independent "MAZE"』を2 TYPE発売。だが同時に、一時期、凛が地下活動を行うため、当分の間、表だった活動を中止してゆくことも、この時期に告げられていた。

9月14日には、東日本大震災チャリティープロジェクトCD『BLUE PLANET JAPAN』にも参加。社会貢献に際して積極的な姿勢を見せてゆくところも、男気の熱いKISAKIらしさと言えようか。

10月には、1stフル・アルバム『Independent "MAZE"』の発売記念と同時に、地下活動へ入るための意味を持った「ライブ活動停止ワンマン公演」という形のもと、10月2日に、まずはOSAKA RUIDOにてCD発売記念ワンマン公演「Independent -MAZE-」を開催。10月5日には、HOLIDAY NAGOYAを舞台に、CD発売記念ワンマン公演「Independent -MAZE-~特別夜~」を実施。そして10月8日、原宿ASTRO HALLにてCD発売記念ワンマン公演「Independent -MAZE-」を開催。この3本のワンマン公演を持って、しばらく間、凛は地下活動へ専念していくことになった。

KISAKIと言えば、ヴィジュアル系音源のコレクターとしても名高い存在であり、ヴィジュアル系というシーン自体を本当に愛している男である。彼自身、バンド活動を行う以前からヴィジュアル・シーンに対して強い愛着を持っていたことや、先人たちへ強い敬意を評していたこと。さらに、最近の若いヴィジュアル系好きな人たちへ「ヴィジュアル系の歴史の系譜」を少しでも体感してもらおうとの想いから、KISAKIは「ヴィジュアル系の歴史を俺が後世へ伝えてゆく」決意のもと、一つのイベントを打ち立てた。それが、11月27日に赤坂BLITZにてKISAKIプロデュースのもと開催、90年代ビジュアルシーンを一世風靡したアーティストやバンドたちを集めたイベント「輪‧廻‧転‧生~A RETURN of "VISUAL MONSTER"~」だった。
出演したバンドも、aki(ex.Laputa)/Kneuklid Romance/La'Mule/Aliene Ma‘riage/Deshabillz/Romance for~と錚々たる面々。さらにKISAKI自身が、KISAKI PROJECT feat. 砂月としてメインアクトで出演。サポートメンバーにはG.JACK(ex.Gilles de Rais)&Yoshitsugu(Eins:Vier) Ds.HAYATO(ex.Blue)という豪華メンバーを揃え、みずからも90年代の息吹を存分に感じながらステージングを行っていた。

 12月31日から2012年1月1日にかけ、今年はESAKA MUSEを舞台に、毎年恒例UNDER CODE PRODUCTION主催によるカウントダウンイベント「関西制圧2011~2012」を開催。凛も、2年連続で出演することとなった。

また2011年には、SHEIK the CRAZY-SKB《殺害塩化ビニール代表、恐悪狂人団、QP-CRAZY、猛毒、殺(KILL)》/BUTCHER the CRAZY DANGER KENZI《アナーキストレコード代表、ex.かまいたち、d.p.s、∀NTI FEMINISM》による宇宙最凶天才的奇才ユニットであり、悪のエージェント「怪奇!!動物アジテーター」が制作したミニ・アルバム『地球爆破計画』をKISAKIがプロデュース。様々な分野で、そのセンスを発揮していたことも記しておこう。

 2012年に入り、ふたたび凛が表舞台へとその姿を見せ出した。最初のアクションとなったのが、3月01日に発売となった、ALBUM『VALUE-EXCLAIM』と、地下活動へ入る直前に行ったワンマン公演の模様を収録した、凛としては初のLIVE DVDとなった『Independent "MAZE" FILM』の同時リリースだった。特に『VALUE-EXCLAIM』は、凛のライブでは主軸となっている楽曲たちが多かったことや、すでに音源が手に入らないことも加味され、凛のライブをより楽しんでもらうためのアイテムとしての意味合いも持って制作されたものだった。

3月10日には、東京キネマ倶楽部にて凛CD&DVD発売記念主催イベント2012「the shadow of envy」を開催。ライブ活動の面でも、この日をきっかけに表舞台へ飛び出し、精力的な動きを描き出すようになっていった。
3月10日と言えば、KISAKIがこの世に生誕した日。カリスマ的存在「神KISAKI」の誕生を祝福する形のもと、3月14日に心斎橋THE LIVE HOUSE somaにてKISAKI BIRTHDAYファン感謝祭「FREEDOM 20120314」を開催。多くの仲間たちが、神へ祝福の声と音楽を捧げてくれた。

3月31日には、ESAKA MUSEを舞台に、KISAKIのライフワーク・イベントへと発展していくことになる「輪‧廻‧転‧生」シリーズの第2弾となる、KISAKI PRODUCE 90年代ヴィジュアル系回帰プロジェクト「輪・廻・ 転・生~DAS:VASSER 15th ANNIVERSARY~」を開催。なんとKISAKIは、みずからリーダーとして活動していた伝説のバンドMIRAGEを一夜限りで復活。これには、多くのファンが狂喜の声を上げることになった。
さらに同イベントの最後には、KISAKIがベースを弾き、ex,かまいたち~THE DEAD POP STARS KENZIがドラムを叩く形のもと、「かまいたち」の名曲『自由の女神』を演奏するというサプライズも登場。90年代ヴィジュアル系ファンたちにとっては、まさに幻を現実に体感した気分だったに違いない。
翌日となる4月1日にも、同じくESAKA MUSEを場に、KISAKI PRODUCE 90年代ヴィジュアル系回帰プロジェクト「輪・廻・転・生~ALUMNI ASSOCIATION SPECIAL SESSION NIGHT~」を開催。この日KISAKIは、「カリスマティックパーソンズ」というバンド名でVo:KoHey(Sleep My Dear) 、G:Jack(Gilles de Rais) 、G:臣(黒夢) という大先輩&豪華メンバーを率いて以下の名曲を演奏し会場を沸かせていった。
01.百花繚乱-MIRAGE-
02.BECAUSE-Gilles de Rais-
03.DESSERT TOWN-Zi÷Kill-
04.for dear-黒夢-
05.Ask for Eyes-Sleep My Dear-
まさに、時代を彩った名曲ばかりをカバー演奏。同時に、KISAKI自身が熱狂的なヴィジュアル系マニアであることを世の中へしっかりと知らしめた2日間にもなっていった。

4月30日には、大阪BIG CATを舞台に、凛CD&DVD発売記念主催イベント2012「the shadow of envy」を、今度は大阪で開催。東京と大阪という二大拠点をしっかりと固めてくれた。

凛としての活動も2年を経過。5月20日にはSHIBUYA-REXにて。5月27日には、大阪ROCKTOWNを舞台に、凛2nd ANNIVERSARYワンマン公演 2012「VALUE-EXCLAIM」を開催。両会場ともチケットが完売する熱狂の盛り上がりを描き出していった。

6月29日には、KISAKIが初訪中を決行。上海にて開催されたヴィジュアル系フェスに、現地バンドとの交流も兼ねてゲスト出演。二週間前という急な発表にも関わらず500名以上の動員を記録。それだけKISAKIという名前が、日本を飛び越え、中国はもちろんのこと、世界中に浸透していることを証明する成果にも、結果的に繋がっていった。

凛を立ち上げて以降、休むことなく精力的に活動を続けてきたKISAKI。神の申し子とはいえ、やはり彼も現世では人としてのDNAを身体に持つ一人の人間だった。
7月11日、これまでの無理がたたり、緊急入院。翌日に予定していた凛の公演をKISAKIは欠席。でも凛は、リーダー不在とはいえ、その意志をしっかり胸に抱き、印象に残るステージをやり遂げ、KISAKIへその想いを返してくれた。

8月05日には三度目となる90年代ヴィジュアル系回帰プロジェクト・ファイナルを開催。これまでにKISAKIが主宰していた2つの歴代レーベル「Matina」&「UNDER CODE PRODUCTION」所属バンドたちが集結。「輪・廻・転・生-Matina VS UNDER CODEPRODUCTION-」MIRAGE(ゲスト)/NEGA/DAS:VASSER/Megaromaniaというメンツのもとでイベントを実施。「奇跡の共演と軌跡の融合!!」を果たす形を取り、当時、大きな嬉しい衝撃をファンたちに与えてくれた。

毎年8月31日には、KISAKIのまわりでは何かが起きる。2012年8月31日、梅田SHANGRILAを舞台に、KISAKIは「SUMMER MASQUERADE FINAL~Phantasmagoria MEMORIAL TRIBUTE NIGHT~」を開催。その日のステージ上でKISAKIは、「UNDER CODE PRODUCTION 解体」を突如発表。その衝撃の情報は、瞬時にして世界中のヴィジュアル系ファンたちの元へ届き、多くの人たちが嘆き悲しむことになった。だがこれも、"解体と再生"を繰り返し続けてゆくKISAKIにとってみれば、自ら未来へ歩んでいくうえでは必要なことだった。
 後にKISAKIは、「本当なら7年目頃にUNDER CODE PRODUCTIONを解体しても良かったんだけど、何がなんでも10周年までは続けようと執念を持ってやってきた」と語っている。

 9月05日、凛は、先に発売したフル・アルバム『Independent "MAZE"』へ、新録したマキシ盤『Insane flashback show』を加えた完全盤アルバム『AWAKING from -Independent "MAZE"-』と凛 LIVE DVD『VALUE-EXCLAIM -FILM-』を発売。すでに入手困難だったアルバムへ新たな表情も加え、さらに凛の神髄と、ライブへ直結した臨場感を味わえる作品へと昇華。ファンには嬉しいアイテムになった。
 
凛は『AWAKING from -Independent "MAZE"-』を手に、9月17日にOSAKA MUSEにて、9月18日には名古屋HEART LANDで、9月30日には新宿LOFTを舞台に、凛CD&DVD発売記念公演2012を開催している。

そしてまたも、凛から衝撃的なニュースが世界中に発信された。それが、10月28日にOFFICIAL SITEとKISAKIのBLOG上にて発表になった「2013年をもって凛、無期限活動休止」という言葉だった。あまりにも大きな、その衝撃を持った発言の真意が見えなかったこともあり、数多くのファンたちが大きな戸惑いと悲嘆に暮れていた。

凛の無期限活動休止という、大きな衝撃的な発言を受けてという理由もあったろうか、12月1日と2日の2日間に渡り、凛が東京での現メンバーとしてのラスト・ワンマン公演「凛CD発売記念東京ラストワンマン公演2012「The Psalms and Lamentations」を、新宿ACB HALLにて開催することを発表。チケットは瞬く間に売り切れ、まさにプレミアム・チケットと化していった。

 11月23日、札幌KRAPS HALLにて開催された「HOKKAIDO V-ROCK SUMMIT なまら・ぶい VOL.1」に凛がゲスト出演。この日のライブのラストで、イベントで共演した北海道のヴィジュアル系バンドたちと一緒にステージに上がった凛は、Phantasmagoriaの『神歌』をセッション。セッション演奏を通し、KISAKI-ISMを地方のバンドたちにもしっかり継承させていった。
 さらにこの日のイベントの模様が、フジテレビ系列局UHB北海道文化放送スーパー ニュースにて特集放送された。

12月06日、OSAKA MUSE にて開催された[zo:diaek]復活イベントにスペシャルゲストとしてKISAKIセッションバンドが出演。Vo:MASA(Dear Loving) G:♯4(ex.Stella Maria) G:春陽(ex.Ove~ドレミ團) B:KISAKI Ds.葵(陰陽座)というKISAKI自身のルーツも垣間見える豪華なメンバーで出演。同じ時代を生きてきた仲間へ嬉しいエールを送っていった。

2013年に入った凛は、6月30日・大阪BIGCATでの「凛・無期限活動停止」の日へ向け、最後のスパートに入ろうとメンバー全員の気持ちが一丸となっていた…と思っていた矢先の1月07日のこと。突如、凛のメンバーであるMIZUKIが失踪~脱退。
 凛にとって大きなアクシデントとなったが、協議のうえ、1月12日に控えた凛のライブより、現状の4人で、一つの区切りとなる日まで走り続ける意志を確認。さらに凛の結束力が強くなるという皮肉な結果ももたらした。

3月01日の目黒鹿鳴館を皮切りに、UNDER CODE PRODUCTION主催によるレーベル・ラスト全国ツアー「日本制圧FINAL -since2003~2013-」がスタート。KISAKIとレーベルの最後の幕引きを共に行うことを決意したレーベルメイトたちが参加する形のもと、ツアーは幕を開けることになった。

3月10日には、KISAKIの生誕&バンド活動20周年を祝福すべく、大阪BIG CATを舞台に 「C'est la vie~REMAIN OF THE 2OTH YEARS HISTORY~」を開催。数多くの仲間たちが、神の生誕日を祝福してくれた。

3月16日には、大阪にて、殺害塩化ビニール所属の過激パンクバンド「流血ブリザード」とのジャンルの壁をぶち壊したツーマン公演を主催&開催。枠を超えた共演は大きな反響を呼び、ふたたび共演することも決定した。

3月30日、川崎クラブチッタを舞台に、KISAKIのバンド活動20周年を祝うイベント「C'est la vie~REMAIN OF THE 2OTH YEARS HISTORY~」を開催。KISAKIと歴史の歩みを共にしてきた盟友バンドたちが数多く出演。改めてKISAKIがヴィジュアル・シーンに残し他功績の偉大さを実感することにもなった、とても素晴らしいイベントだった。

5月03日、大阪BIG CATを舞台に開催したイベント「日本制圧FINAL -since 2003~2013-」をもって、10年間に及んだUNDER CODE PRODUCTIONの歴史に幕を下ろすことになった。チケットはもちろんSOLD OUT。同時にこの日は、KISAKIにとって通算1000本目のライブという、大きな記念をもたらす日にもなっていた。様々な節目で、いろんな歴史をシーンに刻み込んでゆく。それもまたKISAKIらしい皮肉の効いた生き方と言えようか。

そして6月30日、大阪BIG CATを舞台に、現メンバーに於ける"凛 無期限活動休止ワンマンライブ「 Obscure Ideal ~Judgement of fortune~」"を開催。凛の、何よりもKISAKIの人生を賭けた生きざまに共鳴した人たちが詰めかけゆく中、きっとKISAKIは、未来へ向けた姿を、この大きな一つの節目となる舞台でも描き出してゆくことだろう。

10年間続けてきた、KISAKIのライフワークにも思えたレーベル「UNDER CODE PRODUCTION」の解体。そして、命を賭けて挑み続けてきた凛の、現メンバーでの最後となったライブ。もちろん凛は解散したわけではない。でも、KISAKI自身が、彼と同等の意識を持ってヴィジュアル系バンドを行う意志を持ったメンバーと出会わなければ、凛の復活も何時の日になるのかはまったく定かではない。
ただ、過去にもバンドやレーベルの「破壊と誕生」を繰り返しながら走り続けてきたKISAKIのことである。「ヴィジュアル系というシーンと結婚し、一生、このシーンに身を添い遂げよう」と決意した男だけに、これからも何らかの形を取って、「ヴィジュアル系の歴史を作り続け、その歩みを、歴史として後世へ残し続けていく」のは間違いのないこと。
すでにヴィジュアル・シーンには、KISAKI CHILDRENと言うべき、彼の生き様のDNAを注入された数多くのバンドたちが、KISAKIを慕い、KISAKIの生き方を継承した活動を行いながら、それぞれが、KISAKIという遺伝子を、それぞれの後輩バンドたちへ伝え続けている。まさに「KISAKIというヴィジュアル系のスタイル」が、このシーンへどんどん増殖し続けてるということだ。

ここまでの歩みは、あくまでもKISAKIという一人の男の人生の断片でしかない。でも色濃いエピソードばかり。そんな"VISUAL界のLIVING LEGEND"の軌跡を、これからも、ここを通し記録し続けていきたい。
 
長澤 智典(音楽ライター)
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