KISAKI OFFICIAL SITE

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3年間という月日を迎えることなく、その運命を伝説という名とともに昇華していったPhantasmagoria。その存在を伝説に祭り上げると同時に、アーティストKISAKIという姿も、松浦忠史自身で封印してしまった。


この15年間、いくつものバンドを率いながら、ビジュアル界に必要な巨大なジグソーパズルの欠片を、次々と詰め続けてきたKISAKI。
事実、ここ10年来のVISUALシーンの発展や表現スタイルは、KISAKIという戦略家が存在していたからこそ形作られてきた面が非常に多いのも事実。
X JAPANやCOLORがVISUAL系というスタイルを日本の音楽シーンに描き上げ、LUNA SEAやGLAYがその色を強烈な存在として塗り込んだとするならば、KISAKIという存在は、“VISUAL系のあるべき姿”“表現すべきスタイル”“進化すべき道肘”をすべて「開拓」してきた、まさにビジュアル界のパイオニアとして、忘れてはならない人物と言えようか。
誰も切り開くことの出来なかった荒野を孤軍奮闘しながら開拓し、後に続くバンドたちへの道を作り続けてきたKISAKI。
よく、売れた途端、もしくは人気に翳りが出始めると共に、メイクを落とし「脱VISUAL」を宣言したり、過去の自分の姿さえ抹殺していく連中が多い中、KISAKIは終始“VISUAL系”という姿に徹し続けてきた。いや、その言い方はちょっと間違いだ。もともと彼の素顔がVISUAL STYLEなのだから、「落とす」という概念自体が存在していない。そう思えばKISAKIこそ、日本に誕生した独自の音楽文化“VISUAL系”が産み落とした、最初の「象徴となる神童」だったと言えようか。
だからこそ彼は、新たな大人の階段を登るために、みずから「表現者を育成する立場」へとまわり、これからのVISUALシーンをになう「VISUAL界の子供たち」の発展のために尽力を尽くしていくことになる。
でも、これだけは言える。過去にも、現在も、そしてこれからを描く未来にも、KISAKIを超えるカリスマは存在し得ないということを。
KISAKIを超えることが出来るのは、やはりKISAKI自身しか居ない。これはあくまでも希望的な言葉だ。
このままVISUALシーンに新しい改革の波が訪れなくなったとき、時代を切り裂く運命を担う存在が絶対に求められていく。
そのときに再び立ち上がるのがKISAKIになるのかも知れない。
何故なら、KISAKIの前にも、そしてKISAKIの後ろにも、やはりKISAKI以外の強烈な存在感を放つカリスマは存在していないからだ。
この文章は、VISUAL界に生誕したKISAKIというカリスマに向けた、HISTORYという形を通した鎮魂書だ。
いや、これからのVISUAL SCENEを担う人たち。もちろん、今現在担っている人たちにも向けた、「魂の聖書」だ。ここには、VISUAL界の未来を形作る答えが説き伏せられている。何故なら、KISAKI自身が、今や世界中に流布し始めたVISUAL ROCKという存在そのものであり、最初のルーツとなる遡源なのだから。
歴史を築きあげるためには、先人の教えに問え。もちろんKISAKI自身も、これからはVISUALシーンを影から支える立場として、VISUAL ROCKの発展に貢献していくことだろう。それでも、 今一度伝えておきたい。「KISAKIこそVISUAL系そのもの」なのだということを。
今でも“生きた伝説”として、その名が語られているKISAKIだが、本当の意味でKISAKIの存在が伝説として奉り上げられるのは、数年先かも知れない。えっ、何故かって? そのくらいの時期になったら、わかるはずだよ。これまでKISAKIが行ったきた活動、行動の一つ一つが、“現象”としての道標になっていたんだということを。その意味をリアルに実感する事象が、この先きっと起こるだろうから。。。
そして、これからもKISAKIは、プロデューサーという立場のもと、様々な伝説や新しい道筋を、VISUAL界に築き続けることだろう。やはり今だ神·KISAKIの存在を、VISUALシーン自体が手放すことなど出来ないのだから。。。

そしてここからは2007.8.31~のKISAKIを追ってみよう。

VISUALシーンへ革命的な歴史を次々と刻み込んだ、カリスマKISAKI率いるPhantasmagoriaは、2007年8月31日の大阪国際交流センター公演をもって、3年間の歴史のページを閉じた。
そしてバンドの終幕と同時に、KISAKIは光照らす舞台へと続いていた扉の“永遠”という鍵を、自ら廻した。
表舞台から、身を引いたKISAKIだったが彼は音楽活動を辞めた訳ではない。
いやむしろ、現役ミュージシャンとして活動していた時以上に、“プロデュース業”へ自らの神経を注ぎ込んでいった。
舞台裏へ潜んだからと言って、彼が何処にでもいるプロデューサーに成り下がるわけがない。むしろプロデューサーという、さらに自由な表現の翼を得たからこそ、KISAKIはさまざまな形を通しながら、今度は違う顔で、数多くのメディアへその姿を現すようになった。

まず、一番に伝えねばならないのが、 UNDER CODE PRODUCTIONから発信されるアクションすべてに、KISAKIの熱意が、これまで以上に熱く込められるようになった事だ。彼自身それを強く求めていたゆえに、当然の結果だが。
同じミュージシャンという目線ではなく、よりプロデューサー然とした視点で所属バンドらへ接し始めた成果は、 UNDER CODE PRODUCTION所属バンドたちの質の高い作品群を聴いて頂ければ。
そして、所属バンドたちの斬新な活動展開を観てもらえれば、十分分かって頂ける事だろう。

時計の針を、少し戻そう。
Phantasmagoria封印以降、最初に表立って出てきたアクションが、 UNDER CODE PRODUCTION所属バンドを中心に制作。2007年10月に発売したアルバム「Tribute of Phantasmagoria」と、同作品の発売記念イベントを、東京と大阪で開催したことだった。Phantasmagoriaの存在を惜しむ声は、ファンたちはもちろんのこと、バンドや関係者たちの間からも、今でも多くKISAKIのもとへ寄せられている。その伝説へ最初に想いを捧げた形で誕生したのが、この「Tribute of Phantasmagoria」だった。
同年12月26日には、かつてKISAKIがプロデュースしていたレーベルMatinaに所属していたバンド「DAS:VASSER」の1日限定復活の為に企画した「Matina PRESENTS 2006」の開催。
数多くの伝説を築きあげたバンドたちが、時間軸を越え、再び1つの思いのもとに集まったのも、KISAKIという人望の厚いプロデューサーがいたからこそと言えようか。

2008年に関しては、雑誌等のメディアを通し、みずからの姿や発言も形として露出しながら裏方に専念していたKISAKIだったが、やはり世間は偉大なる男「KISAKI」を、スポットライト輝く場所へ引っ張りださずにはいれなかった。
引退以降、KISAKIが初めて表舞台へ姿を現したのが、2008年4月04日関西大御所FM局KISS FMの公開生出演だった。
番組最多動員を記録する。
しかも番組内で「Phantasmagoriaの一日復活」そして「hide memorial summit」への出演という、衝撃をもたらす嬉しいニュースを世間にもたらしてくれた。余談だが、いきなり表情を現すのではなく、声のみからの表舞台への出演というのがKISAKIらしい策略ぶりではないか。
さらに、期間限定KISAKIプロデュースによるTV番組「VISUAL ROCK GATE」が、4月よりテレビ大阪でスタート。
土曜日深夜の放送ながら、独特の切り口でバンドの魅力を追求していく姿勢が受け、この番組は、かなりの反響を巻き起こした。
同じく、KISS FMにて、KISAKIプロデュースによるラジオ番組「VISUAL FACTORY」の放送もスタート。こちらでも、幅広い情報網を持つKISAKIのネットワークを駆使した新鮮な情報が、アメリカ村にあるKISS FMマイケルキューブサテライトスタジオより毎週発信になっている。しかもこの番組は、ビジュアル代表雑誌「SHOXX」とVISUAL系に特化した人気携帯SNSサイト「びじゅけい」とも連動。この斬新なメディアミックス展開もまた話題に繋がった。

また数多くのプロデュース活動の中でも、際立った形として見えたのが、1998年に解散した伝説BAND「Deshabillz」の復活を、自らプロデュースする事で形を成したことだろう。KISAKIは、Deshabillzの復活のための新曲を、全て作曲&プロデュース。KISAKIとDeshabillzのヴォーカリストSHUNとのコラボレートによって生み出されたマキシ盤「傍観者/コノ罪ニツイテ」とミニアルバム「酔生夢死」には、往年のDeshabillzの姿を生き生きと再現。SHUNとのコラボレートを通しKISAKIは、さまにプロデューサー業の真骨頂とも言える「伝説を蘇生させる」手腕の妙味を見せてくれた。

再び話をPhantasmagoria絡みへ戻そう。
X JAPANのhideの弟でありイベントプロデューサーでもある松本裕士氏からのオファーにより、出演を表明したPhantasmagoriaは、2008年5月03日味の素スタジアムで開催になった「hide memorial summit」の舞台を通し、3万人以上のオーディエンスへ衝撃を与える。
X JAPAN、LUNA SEA、hide with Spread Beaver、DJ OZMA、DIR EN GREY、T.M. Revolution、マキシマムザホルモン、RIZE等といった大御所と共にhideのイベントを盛り上げた。
さらに、「復活」を望むファンたちより膨大に寄せられた署名へ応える想いから、同年8月30日大阪城野外音楽堂、8月31日渋谷AXを舞台に、限定ながら復活公演も果たすことが決定した。
しかも渋谷AXの舞台には、KISAKIプロデュースによりUNDER CODE PRODUCTIONで活躍し卒業、現在はメジャーシーンで活動する「ヴィドール」&「12012」が友情出演。

表舞台を去ってもなお、数多くの声にたぐり寄せられながら、時としてスポットライトの元へと姿を現すようになったKISAKI。アーティストのみならず、プロデューサーとしても類まれなる手腕を発揮する彼の存在を、日本のみならず、世界も放ってはおかなかった。

Phantasmagoria復活の日へ向かってカウントダウンが進行していた2008年7月23日、KISAKIソロ名義作品「The Solitude Songsが全世界で発売になった。このCDには、現在入手不可能な多数の音源はもちろん。KISAKI PROJECT feat.樹威として、2004年5月01日にフランスで行った伝説のライブの模様を収録したLIVE DVDも弊収。以前から海外で熱烈な支持を得ていたKISAKIだけに、KISAKI自身はもちろん。海外のファンたちからすれば、待望の嬉しい便りになったようだ。
 
2008年8月02日には、大阪アメリカ村三角公演でゲリラ・ギグを周囲の反対を押し切り敢行。喧騒賑わう中へ、いきなり4000人も動員し、大きな話題になったのはもちろん今でもアメリカ村界隈では、周辺を驚愕させた人気騒動として語り継がれゆく伝説の一つになっている。
ちなみにこの公演は、Phantasmagoria一日復活公演8.31渋谷AXが即日完売したために、KISAKIが急遽決めた、ファンたちへのお礼のライブ。
このゲリラ・ギグは、KISAKIがMCを務めるラジオ「VISUAL FACTORY」が主催を行っていた。
 
伝説の終焉まで残り僅かの時期となる8月20日、「Phantasmagoria 復活記念写真集付メモリアルベスト盤『Dejavu~Sanctuary of Revival~』を発売。バンドの生きた証を集約させた、完全限定盤としてリリースになったこの音源も、今となってはとても貴重な作品集として、KISAKI、Phantasmagoriaの歴史を彩る記録盤の一つになっている。
そして終焉前日となる8月30日、Phantasmagoriaは大坂城野外音楽堂を舞台に、「SHOCK WAVE in 大阪城野音」のメイン・アクトとしてステージ上に立っていた。この日のライブは、渋谷AXのチケットが即日完売したため、KISAKIと昵懇の付き合いを持つSHOXX編集部が、KISAKIの地元である大阪を舞台に、SHOCK WAVE名義のもとの追加公演として実施されたイベント。この日のステージで共演したのは、KISAKIと縁の深いヴィドール/12012/Versailles/ドレミ團という面々。
また同日、全世界デビュー曲「勿忘草」PROMOTION CLIP DVDの付いたKISAKIソロ写真集「喪失~Optic in Vain~」も発売になっている。
 
そして、今や伝説の日としてVISUAL界の歴史に記録されている「Phantasmagoria復活&解散ライブ」が、2008年8月31日にSHIBUYA-AXにて開催になった。  「forbidden -INSANITY of the UNDERWORLD-」と銘打ったこのライブには、 UNDER CODE PRODUCTION創設時の仲間たちであり、KISAKIとは切っても切れない強い絆で結ばれた盟友バンド、ヴィドールと12012も登場。さらに司会には、同じくKISAKIと縁の深いVersaillesのKAMIJOと、LOOP ASHの代表でもある未散が参加。さらにKISAKIの応援団長として、X JAPAN新派でおなじみの 東海林のり子も駆けつけた。
この日のライブは、ファンの人たちの熱烈な想いのもと、10000通以上もの署名に心を打たれたKISAKIが、Phantasmagoriaとしての活動へしっかり終止符を打つために実施したライブ。もちろんチケットは即日完売で、観れなかった人たちが多数出たのは言うまでもあるまい。
むしろ、当時のPhantasmagoriaにとってSHIBUYA-AXという箱は、あまりにも狭すぎた。
でも、Phantasmagoriaの歴史を語るうえで欠かせない場所だっただけに、これも一つの運命として受け止めようではないか。
またこの日に、ライブ会場限定発売という形で、Phantasmagoria LAST SONG MAXI SINGLE『Vanish…』をリリース。
 
Phantasmagoria終焉後のKISAKIは、ふたたび表舞台から姿を消し、 UNDER CODE PRODUCTIONの代表として積極的にプロデュース活動へと勤しんでゆく。
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